【津野町】吉村虎太郎(よしむら とらたろう)生家へ行く。

津野町へ行った際、吉村虎太郎生家へ立ち寄りました。

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平成27年に吉村虎太郎邸として復元されたそうです。なので見た目は新しい感じ。
中へ入れるとの事で入ってみました。

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中には吉村虎太郎関係の資料が複製展示されていました。
展示資料を見ていると、ココを管理されている方がお茶を淹れてくださいました。
炬燵が置いてある部屋があり、炬燵に入りながらお茶を頂きました。
閉館間近にも関わらずお気遣い頂いて有難かったです。

吉村虎太郎(よしむら とらたろう、天保8年4月18日(1837年5月22日) – 文久3年9月27日(1863年11月8日))は、幕末の土佐藩出身の志士。諱は重郷。一般には「寅太郎」と記されることが多い。
土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画(伏見義挙)に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)
明治10年(1877年)に名誉回復。明治24年(1881年)、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎と共に正四位が贈られ土佐四天王の一人と称される。

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辞世の句、「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」。
天誅組の行動は倒幕の先駆けとなり、後の明治維新へ繋がって行く訳です。

虎太郎は、土佐四天王の中でも一番早くに亡くなっています。
ちなみに土佐脱藩第一号も虎太郎だったりします。
もっと沢山の方に知って頂きたい人物の一人。あまりにも知名度が低い気がする・・・。
とか一人で熱くなって感動している自分を、家族が冷めた目で見てました(笑)。

温度差に耐え切れずに(笑)、吉村虎太郎邸を後にしました。
近くには吉村虎太郎像もあるようですが、見逃しました・・・。
今度はゆっくり見に行きたいと思います。多分一人で(笑)。

吉村虎太郎邸詳細については、津野町ホームページを見ると分かりやすいです。

 

by カエレバ

 


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