あの日から八年が経ちました。

日本が大きく変わったあの日。東日本大震災から八年が経ちました。

3月11日は普段通り仕事をしていまして、仕事中は特に変わった事はなく…。関東の方で大きな地震があったらしいとしか聞いてなくて、深夜に家に帰宅してから何気に見たテレビで映像を見て絶句したのを覚えています。

震災から八か月経った11月の終わり、宮城県の南三陸町へボランティアに行きました。過去にもこのブログに書いたんですけど、毎回書いていいのか悩んでるんです…。

でも、あの場所に立った時の自分の思いとか、時間が経って変化したであろう自分の思いを残しておく為にも、やっぱり書いていこうと思う訳です…。

ボランティアセンター、略して「ボラセン」。朝、ここに集合して受付をします。そしてその日の作業が割り当てられ、それぞれの場所へ移動していく訳です。

ここからは、当時(2011年11月)の被災地の写真を載せるので、見たくない方は飛ばして下さい…。

八か月経ってもこの状態でした。今は様変わりしてる様ですが…。

海に近付くにつれ、建物はほぼ無い状態でした。

木の色が変わってる所まで海の水が来たそうです。

当時、写真を撮るのも躊躇ったんですけど、少しでも周りの人達に伝えたいと思って撮りました。

実際にこの場所へ立って思ったんですけど、やっぱり現場の空気感なんかはその場所へ行かないと感じとれないんだなと言う事。

テレビの映像や写真の中だけの世界でしか見れてなかったんだなあと…。

当時はこの辺りで瓦礫撤去の作業をお手伝いしました。奥に見えてるのが志津川病院。

志津川駅があった場所。ここがボランティアの集合場所になってました。

たった二日間しかお手伝い出来ませんでしたが、自分にとってはこの後の人生を大きく変えた二日間でした。この後から自分の人生観が大きく変化し、今に繋がっています。八年経った今でも、あの時の空気感は忘れる事はありません。

あの時に、この場所へもう一度戻ってくると心に決めたんですが、残念ながらまだ達成出来ていません。でもその思いは今も変わりません。

今は、自分の出来る事を、自分が出来る範囲内でコツコツとやっていこうと思います。

明日からは普段通りのブログに戻ります(笑)。

 

2件のコメント

高知から行かれたのですね。

私は現地までは行ってませんが遠い親戚が音信不通になりダメになりました。

地震発生の際は会社に居ましたが気持ち悪くなるような奇妙な揺れだった事を今でも鮮明に覚えてます。

>ポケさんへ

現地は想像を絶する状態でした。直後はもっと酷い惨状だったと思います。
御親戚の方は残念でした。御冥福をお祈り致します。
完全な復興まではまだまだと聞きます。一刻も早く復興出来る様に、自分の出来る範囲内でコツコツと活動していきたいです。

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